乙武洋匡、今日から呼び捨てね!

「障害者」の意味をネット辞書で調べると下記のようになる。

身体障害・知的障害・精神障害(発達障害を含む)その他の心身の機能の障害があり、障害および社会的障壁によって継続的に日常生活や社会生活に相当な制限を受ける状態にある人。

ボクなりに解釈すると、健常者に比べて身体的特徴が原因で様々な欲求を満たしずらい状態の人のことをいうのであろう。

もちろん欲求といっても生理的な強い欲求(睡眠欲、食欲、性欲)から、みんなに認められたいとか、偉くなりたいなどの社会的欲求までものすごく幅がある。

個人にしたって、赤ちゃんからシニアまで年齢や体の状態で、切実に求める欲求の水準は変わってくるだろう。

障害者に遠慮する、という感覚

乙武洋匡氏について語ろう。

「五体不満足」という大ベストセラー本を執筆している通り、世間でいういわゆる典型的な障害者に分類されることに異論は無いだろう。

ボクは会話の中に面識のない有名人が出てきても「さん」付けはしない。

それは安倍晋三だろうが、芸能界の大物と言われる和田アキ子だろうが同じで、常に呼び捨てで「昨日テレビで和田アキ子がね…」という感じである。

これは他の多くの方も同じだと思うが、著名人に「さん」付で話す人がいたら何か個人的な接点があるのかとさえ思ってしまう。

しかし、今回の問題が起こるまでは、なぜか、乙武氏には「乙武さん」と「さん」付けしていたのである。

呼び捨てにすることで障害者を差別してるんじゃないの?と周りの人に受け取られかねず、それを無意識に避けていたのかもしれない。

こういった障害者=弱者と扱う感覚はマスコミでも同じだったのかもしれない。

今回問題になった乙武氏の5人の女性との不倫問題は、関係者の間では有名だったらしい。

ホリエモンがバラエティ番組で言っていたぐらいだから、当然多くのマスコミはこのことを知っていたはずである。

また乙武氏の立ち位置も微妙であり、有名人であるが一般人である。

この一般人寄りであることと、「弱者に対するバッシング」ととられることを意識して、マスコミは事態を把握しながら記事にはしなかったと推測される。

その後、自民党が参議院選挙に担ぎ出すという文脈の中で、乙武氏の不倫問題が公になったのである。

ところで、乙武氏は弱者なの?

根本的なところで、乙武氏は我々が日常生活で遠慮しなくてはならない弱者なのだろうか?

次の2点で検証してみよう。

1.健常者が乙武氏より優れている点

  • 手足が使える

この1点に集約される。

それに対して、乙武氏が(それを希望しても叶えられていない)健常者よりも優れている点はこれだけある。

  • 結婚している
  • 子供がいる
  • 不倫もできた
  • (不倫相手が最低)5人もいた
  • 頭脳は優秀である
  • 社会的影響力を持っている
  • 選挙に担がれるぐらいの知名度がある
  • 収入も一般のサラリーマンよりも多い

生理的欲求から社会的欲求まで幅広く高いレベルの満足を得ているのではないだろうか。

望んでも必ずしも手に入れられるとは限らないもの、倫理が邪魔して躊躇するようなことがら、女性に積極的に動いてもらって不倫まで持っていける口先テクニックと、どれをとっても平均的一般人のはるか上をいっている。

2.素手で戦ったら勝てるか?

では、ボクとケンカになったらすんなりとボクが勝てるだろうか?

ボクの脳内シミュレーションではすんなりとは勝てない、と結果発表された。

確かに木刀のような武器を持てば楽勝で勝てるだろうが、これは健常者同士でも同じである。武器を持ったほうが強い、という証明にしかならない。

素手で戦った場合には乙武氏は噛み付き主体、ボクは足蹴り主体の攻撃になるかと思うが、接近戦での勝負は避けられずそれほどの差は出ないと思う。

いや、きっと何回かに1回は負けてしまうだろう。

結論

下世話な話だが、結婚し子供もいて、女性を何人も囲い、ケンカをしても常に勝てるとは限らない。そんな人を弱者として遠慮していたら、かえって相手に失礼である。

男としてはまさにライバルであるし、オスとしては(多少道をはずしながら)ボクの先を行っている。

乙武洋匡さん、あなたはすばらしい!

「障害は不便です。しかし、不幸ではありません」との言葉はウソではなかった。そして外野には、彼自身を健常者と同じ無責任さで語っていいことを身体を張って教えてくれた。

認めるからこそ言うけど、「今日からオトタケ、呼び捨てね!」