舛添要一VS村上春樹 嫌われた果てに







次の文章は村上春樹氏の小説からの引用である。まずは読んでいただきたい。

いずれにせよそのようにして彼は優秀な私立高校から、東大の経済学部へと進み、優等に近い成績でそこを卒業した。
父親は彼が大学を卒業したあと役人になるか、あるいはどこかの大きな企業にはいることを期待していたのだが、彼は大学に残って学者になる道を選んだ。○○○○は馬鹿ではなかった。現実の世の中に出て集団の中で行動するよりは、知識をシステマティックに扱う訓練を必要とし、個人的な知的技能がより重視される世界に残ったほうが自分には向いているということがわかっていたのだ。


とにかくその本を出版したことによって、○○○○は世間に名を知られるようになった。
彼は様々な雑誌に評論のようなものを書き、テレビに出演して経済や政治問題についてのコメンテーターの役をつとめるようにもなった。それからやがて、討論番組のレギュラー出演者にまでなった。


彼は短い言葉で、短い時間のあいだに相手を有効に叩きのめすことができた。風向きを瞬時にして見定める動物的な勘も持っていた。しかし注意して彼の意見を聞き、書いたものを読むと、そこには一貫性というものが欠けていることがよくわかった。彼は深い信念に裏付けされた世界観というものを持たなかった。それは一面的な思考システムを複合的に組み合わせて作り上げられた世界だった。彼はその組み合わせを必要に応じていかようにも瞬時に組み換えることができた。


彼には守るべきものがなかった。だから純粋な戦闘行為に全神経を集中することができた。彼はただ攻めればよかったのだ。○○○○はそういう意味では知的なカメレオンだった。相手の色によって、自分の色を変え、その場その場で有効なロジックを作りだし、そのたまにありとあらゆるレトリックを動員した。レトリックの多くは基本的にはどこかからの借り物であり、ある場合にはあきらかに無内容だった。しかし彼はいつもまるで手品師のように素早く手際よくそれをさっと空中から取り出してきたので、その空虚さをその場で指摘することはほとんど不可能に近かった。

(村上春樹著:ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編 からの引用)

上記引用○○○○の部分には、登場人物の名前が入っているのですが、みなさんは○○○○として、誰か具体的な人物を思い浮かべましたか?

ボクはこの小説の発売当時「これは100%舛添要一のことを書いているんだな」と思いながら読んでいました。

ほんと、舛添って嫌な奴だよな、って。

(もちろん、作家の村上氏の見解は違うと思いますので、念のため)

舛添要一のテレビデビューをリアルタイムで見た

舛添要一が「朝まで生テレビ」に出演したのは1987年9月で、引用した小説の発売は1994年である。

当時、深夜テレビをつけていたら彼が出演していたのである。

彼に対する、第一印象は最悪である。

まず、相手をやり込める口調が気に入らない。

形勢が不利になったり、相手が取るに足らないような発言をするとちょっと横を向いて舌打ちするような、相手を馬鹿にするような態度をとる。

自分の非、失言等を決して認めず、議論相手へのリスペクトは全く感じない。

当時大学生だったボクよりもだいぶ年上ではあるものの、「舛添要一は嫌いだし、人間的に許せないレベル」ぐらいに思っていた記憶がある。

まだ学生とはいってもテレビというファンタジーと現実世界の区別はついており、テレビのいろいろな「登場人物」に腹を立てていたわけではなく、舛添氏(ついでにいうと野村沙知代氏)だけは特別であった。

人は変わるのか?

そんな感じで、月に1度(「朝まで生テレビ」は月1放送)は舛添氏をテレビで見ていたが、それから数年して就職してからは、舛添氏を見る機会は減った。

時折、「たけしのTVタックル」で見かけるぐらいであったが、イメージの舛添氏とは違って、笑顔が多くなり、他の共演者ともそこそこうまくやっているように見えた。

「ああ、人は変わるんだな」、「以前の舛添氏はテレビ用に作ったキャラクターだったのかな?」などとボクもちょっと見方が変わった。

その後、選挙に出るに至っては「お母さんの介護を一生懸命にやっていたらしいよ」といううわさを聞き、第一印象ってあてにならないな、と反省もした。

やはり思った通りの舛添氏だった!

しかし、しかしである。

今回の東京都知事辞任問題に関して、いろんなことが明らかになった。

母親の介護はウソ!、しかもテレビを呼んで選挙活動の一環として(嘘の)介護状況をPRした。

大学まで行かせてくれて、母の介護をしてくれた長姉を著書でぼろくそに批判し、最後は恫喝まで。

たけしにも人間の浅さを見抜かれていて、決して好かれていないこと。共演者に対する愛想笑いは、たけしから嫌われないようにとのカムフラージュだったこと。

どれもこれも、はじめに抱いていた舛添要一のボクの第一印象そのものが、露呈され、証明され、補足され、解説されたのである。

舛添要一ははじめから嫌われていた

今回、舛添氏は国民の攻撃(都知事なのにです)にさらされ、援護してくれる人も現れず、袋叩きにあいました。

テレビで「舛添さんは人間性が悪い」という類の言葉を複数の番組で聞きましたが、ボクはテレビ(のコメンテーター)が人間性を語るのをはじめて目撃しました。

総攻撃される原因は「説明がなかった」「謝罪がなかった」「作戦を間違えた」などと言われていますが、本当は違うと思います。

メディアは決して言わないと思うので、ボクが言います。

舛添要一は、はじめから殆どの視聴者に嫌われており、その根っこが嫌というほど確認された」ことが、今回の容赦ない攻撃の理由だと。

少なくとも、ボクはこのように考えています。

人の育ちの良さは変わらない、人の育ちの悪さも変わらない。

寿命の前にそれが一つ証明されただけでも、ボクはラッキーなのかもしれない。