名前と性格
ここ数十年、ずっと考えている持論ですが、人って名前通りの人間に育ちませんよね。
どちらかといえば、反対に育っていると言える人を多く見かけてきました。
例えば、名前に「美」が入っている女性。
中にはそういう人もいるのでしょうが、ボクは本当に美しく育った、名前に「美」が入っている人を見たことがありません。
誤解を承知で言えば、そこそこの美しさの人は何人もいますが、結局それ止りです。
また名前に「優」とか「秀」とか、人より優れているという意味の漢字を当てている人にも、それほど優秀な人を見たことがありません。
昔、ばんばひろふみの「sachiko(さちこ)」という歌がヒットしたが、歌詞中にもそれらしい一節がある。
Sachiko(幸子)という名は 皮肉だと 自分にあてた 手紙燃やして
窓に額を押し当てて 家を出たいと つぶやいた
この曲が大ヒットしたと言うことは あながちそういいた考えに近い感想を持っている人もおおいのではないでしょうか。
ボクも、人は名付けられた想いと反対の性格に育つのかな?と考えたことがありましたが、それではあまりに救いがありません。
そこでボクは今ではこう考えるようになりました。
名前と本人自身で一つの人格
名前が持っている意味、性格と、本人自身が生まれて身につけた性格を合わせて、一つの人格としてえ完成するのではないかと。
名前という影が本人と一緒に人生を送り、名前が持つ徳と本人が持つ徳の総量が合わさって一人前の徳になる、と。
そう考えたら、あまり意味のある言葉、期待しすぎる言葉を子供につけるのは、あまり良くないのではないかとも考えてしまいます。
最近のきらきらネームなどは、特別の意味を持たない者も多いでしょうから、ボクの持論の名前の付け方には合っているかもしれないですね。
もしかして、名前に派手さをとられて、地味な性格になっちゃうかな?